1959年6月発売以来1973年9月生産終了になるまで14年間、総生産台数は86万2600台に達します。
本機のシリアルナンバーは67027xx 1965年の夏頃に生産されたものになります。 2002年にニコン新宿サービスセンターでオーバーホール 分解整備のほかボディバック不具合調整、擬革・ミラー・シャッター幕(羽根)の交換をしています。 レンズ(PC−NIKKOR35mm F3.5)もボディと同時代のものです。 同時にレンズ内清掃、ヘリコイドの油入れ換えをしています。 同時代を生きてきた人間にとって魅力の一台です。現在でも基本性能は完璧です。
視野率100%のファインファーはスクリーンも見やすく R) 外観は傷だらけですが内部は非常にきれいです。 R) レンズ説明書 65年8月の表記あり L) ニコンF設計陣執筆『ニコンFマニュアル』共立出版(株) |
1980年3月発売以来2000年に製造完了するまで20年間生産され続けてきたカメラです。
モータードライブを付けて初めてF3としてのスタイルが確立します。金属カメラですが中身は電子化されています。 このF3P+MD4Pはニコンのプロサービスセンターの会員のみに販売されていたカメラですが数年前に新宿の中古カメラ店で委託販売されていたものを購入しました。 D1の発売によりデジタルに移行し始めた頃です。その後、大阪サービスセンターでオーバーホール ゴム系の部品などは交換していますがさすがにプロ用のカメラだけあって保守点検は定期的にされていたようで基本性能は新品以上です。
報道現場の最前線で活躍していたカメラです。塗装が剥離しているというより腐食している感じです。ハードに酷使されたカメラですがミラー、シャッター、光学部品などは非常にきれいでシャッターの切れもすばらしいものです。基本的には金属カメラですがNikonのネームプレートなど部分的には樹脂部品も使用されていて使い込むほどにパーツの材質の違いが顕著にでています。 R) 酷使されたカメラですが内部はきれいです。 R) NIKKOR Ai 135mmF2,8S * F3の時代になると露出はカメラまかせでピントが命でした。2点とも外観の傷も激しいですが「ピントあわせでここまでローレットが磨耗するのか?」といった感じの使い込まれたレンズです。 R) ニコンF3テクニカルマニュアル L) 1980年2月15日「新発売」の表記のあるカタログです。プリント基板など、当時の先端をいく電子技術が詳しく解説されています。 R) F3最後のカタログ 日付は2000年8月1日 内容はコンパクトにまとめられていますが、製作者のこだわりは感じられます。 F〜F3までのニコンは道具としての魅力に満ち溢れていました。 |
「丈夫」のひとことに尽きる L.L.ビーンのトートバッグ。焙煎小屋への往復で毎日使用しています。
補強部分のキャンパス地は破けてきていますが縫い目の劣化がないため今でも現役です。 そろそろ買い換えたいのですがこのポケットのたくさんついたタイプは製造中止になってしまったようです。 24オンスのキャンパス地とナイロンのダブル・ステッチが強度のポイント、さすがに評価の高い製品です。 購入は10年以上前になります。今では各地にショップもできカタログも日本語で日本円表示になっていますが、当時は英文のカタログ(ドル表示)でレートを計算しながら辞書を片手に注文したものです。 四隅は補強部分に孔があいてきました。 上記のトートバッグと一緒に購入したものです。袖がやたらに長いのですが、よく着ています。
これも昨シーズンには買い換えようと吉祥寺のショップに見に行ったのですが同じタイプのものはあっても同じデザインのものがなくてあきらめました。 色はサドルなのですが洗濯と日焼けによって店頭のものとはまったく違った色になっています。 |
1987年(昭和62年)渋谷の「THE COCKPIT」で購入。
アビレックス50周年の記念限定モデル。“バーシティー・レザー・ジャケット・チャンプ” 1988年(昭和63年)神戸の「Joint」で購入
第二次大戦中、米軍爆撃機のクルーが着用していたフライング・ジャケットがオリジナル。とにかく重くラグビー観戦など寒い中でじっとしているときにはいいかもしれません。 実測値2240g * 購入当時の上野商会のカタログです。 10代の頃に購入した書籍で今も大事に持っています。 |